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鳥紀行 フランス編




【04】 2004/04/18 パリ 3日目 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照

§ 2004/04/18 (日) パリ 3日目
 天気が日本の梅雨を思わせるほど、今日も、雨模様である。 雨で困るのは、カメラが濡れることであるが、降ったり止んだりの、しとしと雨であるから、コートに挟む程度でよい。 メトロでシテ島に向かう。 ここでも、カササギには、よく出会った。 むしろ、カラスの方が珍しい。 パリでは観たことがない。



§ カササギ
 フランスに来て、初めてカササギを観た。 シャンゼリゼでも、どこでも、いる。 それが、英国にも、ドイツにも、イタリアにも、いたはずなのに、気付いていない。 バードウォッチングを始める前のことだったから、見れども見えず状態であったのだろう。

Kasasagi
カササギ

サン・ジェルマン・アン・レー
フランス
Photo by Kohyuh
2004/04/20

カササギ
分類       スズメ目カラス科
全長        L45 W57
学名       Pica pica sericea
英語名      Magpie

 参考 《スペインのカササギ





 カササギの生息地は、1923年 (大正12) に国の天然記念物に指定されている。 カササギ自体が天然記念物に指定されているのではないので紛らわしい。
天然記念物 カササギ生息地
 名称 : カササギ生息地
 区分   : 天然記念物
 所在地 : 福岡県山門郡、三瀦郡、佐賀県佐賀市、佐賀郡、多久市、小城郡、武雄市、三養基郡、神埼郡、鳥栖市、杵島郡、鹿島市、藤津郡

 日本では、佐賀平野を中心とした、ごく限られたところにしかいないという。 ところがフランスでは到る所にいる。 パリでも何処でも、もちろん、シャンゼリゼにも、小さくても緑のあるところであれば、逢えるでしょう。 ところが、スズメほどにも、気にとめる人はいない。 カラスの存在ほどの関心事だ。

 不思議に、集団でいるのは見たことがない。 聞くところによると6月頃から若鳥が集団で暮らし始めるという。 なるほど、その時期ではなかった分けだ。 白黒だが、光の加減で黒色がコバルト色に輝くことがある。 とても目立つし、綺麗な鳥だ。

 これがカササギと知ったのは、日本に帰ってきてからだが、不思議なことに、「カササギ」 という名前はだけは、昔から聞いたことがある。

 色々と考えたが、どうも、カササギの七夕伝説というのが中国にあって、それを子供の頃に聞いていたようだ。 ところが、今、記憶として残っているのは、カササギという名前だけで、その物語の方は、すっかり忘れてしまっている、と推測される。 話を聞いたのが、逢瀬の人情の機微が分かる年齢ではなかったのかも知れない。

 牽牛と織姫が一年に一度、七夕の日に、天の川を渡って会うことを許されたが、そのときカササギの群れが飛んで来て、羽をを並べて、その架け橋になったという。

 昔は、群れると一つの橋に見えるほど、沢山いたということだろうし、それでも、カラスのように悪さもしないし、愛されていた、だからこその伝説だろうと思う。

 一度、この鳥が群れているところを見てみたいものだ。 きっと、一年に一度の逢瀬を祝福するに相応しい、それは綺麗な橋に見えるに違いない。

 なかなか、やるではないか。 伊達に国の天然記念物になってはいない。 幼心に、いつの間にか、その名を刻み込んでいたのだから。

追記 (2004/11/2)
 日根さんより情報をいただきましたので、ご紹介します。 京阪牧野駅を降りるとすぐ近くに川が流れています。 この川の名前が 『天の川』 で、架かっている橋が 『かささぎ橋』 だそうです。 また、近年、これにちなみ、枚方市は大々的に町興しの一つとして、七夕祭りを催しているそうです。

 
カササギの橋
 広辞苑には、かささぎ‐の‐はし 【鵲の橋】 として、「陰暦七月七日の夜、牽牛星と織女星とを会わせるため、鵲が翼を並べて天の河に渡すという想像上の橋」 とある。

 この辺りの昔を思えば、カササギ伝説に似つかわしい川だったろうことは、容易に想像がつきますね。 それに、七夕祭りは、昔は全国どこでも、それこそ一大行事でしたから、この中国の 「カササギ伝説」 も全国に広まり、恐らく、天の川やカササギ橋も、銀座ほどに、ありふれた名前になっていることでしょう。



§§ パリ見てある記(3)
 シテ島 Ile de la Cite は、丁度、セーヌ川にある、大阪の中之島、のようである。 そして、パリのど真ん中に位置して、しかも、パリ発祥の地でもあるらしい。

 ここには、ステンドグラスが綺麗というサント・シャペルと、魔除けであろうか、奇怪な彫像が立ち並び、下界を見降ろしている、あのノートルダム大聖堂がある。


§§§ 小鳥市
 日曜日には、メトロのシテ駅の近くに、小鳥市が立つということを家内は知っていて、わざわざ、今日の予定に組み込んでいた。 日本でもペットショップの小鳥のコーナーを見かけるが、その程度の小さな、テント掛けのお店が、数十軒ほど並んでいた。 文鳥とか十姉妹とかであろう、見たことのあるものから、見知らぬものまで、沢山の鳥篭が積まれていた。

 天気が良ければ、冷やかしも良いが、生憎の雨で、傘を差して細い通路を歩くことになり、ついつい、通り過ぎるだけのものとなってしまった。 花市も併設されており、観光客相手の商売ではないだけに、折角の日曜日というのに、この雨では、商売あがったりであろう。




§§§ サント・シャペル Sainte-Chapelle
 サント・シャペルを目指すが、大きな建物に邪魔されて、教会らしき姿が見えない。 最高裁判所らしく、警備の人も立つ立派な庭の中を通りすぎて、裏側に回るように進むと、一見、土産物屋のような入り口にたどり着く。 そのような印象であって、どのような外見の教会だったか思い出せない。 ところが、家内の目には、教会の尖塔が、建物越しに、はっきりと見えていたに違いない。 そんなものだ。

 中に入ると、薄暗くて、横に売店があり、正面に大きなステンドグラスがあった。 それなりに美しいものであったが、日曜日というのに礼拝をしているようでもなく、また、それができるほどの大きさでもない。 小さな村で見かける礼拝堂並の大きさである。 大体、土産物屋に人が群がっているようでは、およそ礼拝堂らしくないであろう。

 まあ、有名といっても、観光地とは、こんなものかと、表に出ようとすると、入り口の横に、小さな階段が眼に入った。 一人二人が上がれるほどの階段である。 2階に上がっていく人もいたから、何となくついて行った。 それが、2階に上がって、驚いた。 目を疑うばかりの、美しい ステンドグラス に囲まれた、礼拝堂があった。

 ここには売店も何もない。 まさしく礼拝堂で、大きくはないが、また、それが良い。 丁度、雨も上がったのであろう、明るい日差しで、ステンドグラスの全面が、その一つ一つの ステンドグラス に灯をともすがごとく、輝いていた。 まさに、《パリの宝石》 と呼ばれるにふさわしい、納得がいくものであった。

 この1階の礼拝堂は、王宮の使用人のためのもので、2階が王家と特権階級専用であったという。 それにしても、危うく、見落とすところであった。 もし、これを見落としていたら、どれほど悔しい思いをすることか。 また、きっと、見落とした人もいることと思う、それ程小さな階段であった。



§§§ ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris
 ノートルダム大聖堂 は、サント・シャペルを引き返して、シテ島のもう一方の端にある。 大聖堂という格式のとおり、広い石畳の広場を前にして、二つの塔を構えた立派なものである。 ノートルダムといえば、私は、美術か何かの教科書で見たのであろう、屋根の上から下界を見降ろす、奇怪な彫像の姿を思い出す。 ガーゴイル と言うらしい。 そして、何故か、ノートルダム寺院と記憶していたように思うが、定かではない。

gargoyle ガーゴイル gargoyle
ノートルダム大聖堂
Photo by Kohyuh
 2004/04/18

 正面から眺めた印象と違って、中に入ってみると、奥行きがあり、予想以上に大きく、また、複雑な構造をしていた。 中では、日曜礼拝が行われており、丁度、ソロで賛美歌を歌っているところに立ち会うことができた。 声が響いて、耳に心地よい。 広い座席の空間が真ん中にあり、パリ市民で、満席の状態である。 そして、観光客は周囲の回廊を静かに巡っている。 もちろん、礼拝に参加する人もいた。

 例によって、高いところを目指すが、一旦外に出て、行列しなければ、塔には登れない。 雨もようである上に、寒い。 それに、一度に、10人ほどしか、中に入れてくれない。 そして、また、10分ほど待たされるから、効率が悪い。 2時間ほどかかって中に入ったら、混雑も何もない。

 私は、前を行く人を見失い、目くらめっぽうに進むが、何ヶ所か分かれ道があった。 全部を回れたかどうかも分からない。 ルート地図をくれるが、それを見ると、余計に迷うというものであった。 工事中のところがあったのが原因かも知れない。 それでも高いところには到達した。 パリを見渡せる。 奇怪な彫像 も目の前にあった。 やはり高いところはいい気分である。

ノートル・ダム
 【Notre Dame パリ】
 ( 「我らの貴婦人」 の意、聖母マリアを指す)
12世紀に聖母マリア崇拝の気運が高まり、各地に建立された旧教寺院。 このパリのものが最も名高く、1163年起工、1245年頃完成。 ゴシック建築の代表作。
 《広辞苑 第四版 から引用》



§§§ ポンピドゥー芸術文化センタ
    Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou

 ポンピドゥー芸術文化センタは、その奇抜な設計コンセプトにより、世界的な名建築の一つとして数えられている。 その設計チームの一員として活躍した、建築家の岡部憲明が、関空 (関西国際空港旅客ターミナルビル) の設計競技に優勝し、その建築に携わってきたことは、知る人ぞ知る、ところである。
(NHK人間講座 「可能性の建築」 岡部憲明より)

 ノートルダム大聖堂からセーヌ川にかかる橋を渡ると、いかにもヨーロッパの市庁舎らしい佇まいの、パリ市庁舎が現れる。 そのまま進めば、何処にでもある市街地の様相で、大きな建築物などありそうにないが、やがて、工事現場のような建物の一端が見えてくるから、道を間違えようがない。

 ポンピドゥーセンタ の外観は、まるで建築途中のようで、足場が組まれたままの姿に見える。 芸術・文化の展示・企画の会場として使われることから、壁のない、自由なレイアウトができる空間を作り上げたことと、建物外での催し物にも利用可能な、イタリアのシエナのカンポ広場のような、広場の概念をも備えたという。

 私には、パリには異質な、目に触る建物として写るが、わざと奇をてらったものでも無さそうなので、機能美を狙ったつもりかも知れない。 内部の大空間を支えるには、外壁構造が重要な役割をするであろう。 そして、その外壁構造物を、外に晒すか、内に隠すか、という問題を考えた場合、展示・企画の会場としては、内部空間を大切にしたい、という思いが込められているのかも知れない。

 ただ、私の持つ機能美のイメージとは、どんなに複雑な創造物であれ、釘一本、ネジ一本たりとて余分なものがない、というものである。 とは言っても、名建築と言われる条件は揃っている。 設計者のコンセプトが、意図が、明確で、独りよがりではない、新しい発想が伝わってくるものであった。


§§§ 国立近代美術館
 国立近代美術館は、ポンピドゥー芸術文化センタ内にあり、展示会場へは、外壁に沿う形で、透明のトンネル上のエスカレータで、最上階に上がっていくが、これは、面白い趣向であると思う。 趣向というより何より、内部空間を大切に考える場合、自ずと、外部にもってこざるを得ないものであろう。

 何とか絵画展という立て札があり、見ると行列ができていた。 聞いたことがない名前であったが、よほど有名な人なんだろうと、後ろに並んだ。 30分ほど並んで、やっと入り口に辿り着いたので、持っていた、カルト・ミュゼ を見せると、これは使えないという。 そのときは、訳が分からなかったが、名前も知らない芸術家の作品を見るのに、金は出したくない。 時間を返せと言いたいところだが、大人気ないので止めて、引き揚げた。

 私たちの持っている、カルト・ミュゼ は、国立近代美術館のものであった。 ここは、がら空きであった。 私は、前衛芸術は、苦手である。 時間がもったいないだけなら、まだ、良いが、しまいに腹立たしくなってくるから、避けたいところだ。 それでも、料金は支払い済みであるからという、情けない根生で、覗いてみたら、これが、なかなか良かった。

 近代美術というのは、何も、前衛芸術だけではない。 モジリアニもある、シャガールもある、バルチュスもあった。 もちろん、ピカソや、ダリもあった。 私は、みんな好きである。 そうか、これらは近代の作品なんだ、と変な感心をしたものだった。



§§§ ルーヴル美術館再訪
 ルーヴル美術館で見残しているものがあることに気がついた。 ハムラビ法典、マグダラのマリア、メデューズ号の筏、瀕死の奴隷を見ていない。 どれも案内書に乗っているものであった。 旅行の後半に、もう一度パリに帰ってくるが、後でバタバタするのも嫌なので、急いで観に行くことにした。


§§§§ ハムラビ法典
 大英博物館で、ロゼッタストーンが、入り口付近にごろりと無造作に置いてあったのに、吃驚したことがある。 今では、もう少し大切に展示していると聞くが、人類の宝物である。 それと、同じほど、ハムラビ法典も大切なものであろう。 これとて、地べたに、ごろり、ではないが、触ろうと思えば触れるものである。 触ってなったのかどうかは知らないが、そのように黒光りしていた。

ウグイス
ハムラビ法典
ルーブル美術館 2004/04/18 Photo by Kohyuh
 例の 「目には目を、歯には歯を」 という、あの法典を石に刻み込んだものである。 法典といっても、法そのものを記録したものではなく、判例集であると聞く。 そして、私は、等価罰を科すものと思っていた、「目には目を、歯には歯を」 の判例は、実は、そうではなくて、むしろ、過剰な刑罰を戒めるものであると知って、その英知というか、法の奥深さに驚いたことがあった。

 人の復讐心は、ともすれば、抑制が効かず、過剰になるのが普通であろう。 それを見越して、過剰な復讐を禁止しているものという。 目を傷つけられたとしたら、そして、復讐することにもなれば、命も奪いかねない気持ちになるであろう。 ところが、それは、許されないですよ、と言っているのである。  なるほど、ハムラビ法典の奥深いところに触れた気持ちであった。

 BC1750年ごろ、バビロニアのハムラビ王によって発布され、20世紀の初頭に、フランスの発掘隊により、イランのスサで発見された。


パリの風景 (2) (スライドショウ)



〔アンバサード Ambassade 泊 2004/04/18〕

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【05】 2004/04/19 パリ 4日目 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照

 今日は、ヴェルサイユへ行った。 ニシコクマルガラスやハシボソガラス他、多くの鳥を観た。 もちろん、ホシムクドリは、ここヴェルサイユにもいた。 ところが、翌日行った、ヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes で、何故か、せつなく心に残る、ホシムクドリ と出逢であった。


§ 2004/04/19 (月) パリ 4日目
 今日は、ヴェルサイユに行く予定である。 パリ郊外西南に位置するから、歩いてはいけない。 それでも鉄道があり、交通には便利なところである。 地域的には、イル・ド・フランス Ile de France (「フランスの島」 という意味) と呼ばれるところであるが、パリ近郊といった方が分かりやすい。 一歩街を出ると、セーヌ川、オワーズ川などに出逢うことから、「フランスの島」 というのなら、パリも含まれるからだ。

 

§ ヴェルサイユ Versailles
 ホテルのメトロ最寄り駅である ボワシエール Boissiere から、シャルル・ド・ゴール・エトワール Charies de Gaulle-Etiole まで乗る。 二駅目だ。 さらに、ここでメトロを乗り換える。 ここから シャンゼリゼ・クレマンソー Champs Elysees Clemenceau まで乗る。 三駅目だ。 さらに、メトロを乗り換える。 ここから アンヴァリッド Invalides まで一駅だ。 このアンヴァリッド駅が、ヴェルサイユ方面行きの、高速郊外鉄道 RER の連絡駅である。

 遠回りではあるが、急がば回れの、確実な方法を選んだ。 もちろん、帰りは、違うルートを辿る予定である。 このRERは全車両が二階立てで、日本では珍しいものだから、非常に大きく見える。

 ヴェルサイユの最寄り駅は、ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ Versailles-Rive Gauche という名の駅で、終着駅である。 それでも、違う方面行きの列車も発着するから、乗り間違えないように気を付けなければならない。 ところが、改札口の発着案内にある列車を待っていると、来るには着たが、ホームにあるモニタでは、行き先が違うように見えた。

 用心して、これは見逃して、次の列車を待つことにした。 ところが、また、同じ現象が起きて、訳が分からなくなった。 改札口と、ホームを行ったり来たりしていると、見かねたのか、ヴェルサイユに行くのか? と、何処からか、若者が現れて、聞いてくれた。

 スペインから新婚旅行に来ているそうだ。 彼等もヴェルサイユに行くという。 時刻表を持っていて、どれに乗っても良いというから、訳が分からないまま、一緒に、次の列車に乗り込んだ。 ガラガラである。 我々、四人で2階席を借り切ったようである。

 スペインは、私たちも、是非、訪れたい国の一つであるとか、色々と会話が弾み、家内も折り紙を折って見せたりしている内に、あっと言う間に到着してしまった。 私は、そのとき、どの列車に乗ってもよい、というのが、どうしても、不思議でならなかったから、ひょっとして、違うところに着いたのかも知れないと思ったものだった。 いまだに分からない。



§§ ヴェルサイユ 見てある記
 ヴェルサイユ宮殿へは、少し歩かねばならない。 スペインの新婚さんの邪魔はできないので、駅で別れて、それぞれに歩き出したが、いつの間にか姿が見えなくなって、それ以後、出逢うことはなかった。



§§§ ヴェルサイユ宮殿に警報がなる
 宮殿前の広場 は 広大な石畳となっており、その異様ともいえる空間そのものに、まず驚かされるが、生憎の曇り空で、風もあり、人も少ないこともあって、寒々とした感じでもあった。 先ずは、宮殿の見学を、と急ぐが、何処が入り口やら分からない。

 普通なら行列ができていて、嫌でも眼に入るものである。 その行列がない。 とにかく近くの建物の出入り口で聞くが、警備の人のようで、フランス語しか解せぬので、要領を得ない。 フランス語を解せぬ私が悪いのに、ついつい、人のせいにする。

 それらしきところに小さな張り紙があり、ここからは入れない、と書いてある様子であるから、どこか他に、入り口があると思うだろう。 見ると、奥まったところに、ドアがあった。 窓の外から、中を覗くが人影もない。 確認のために、ドアのノブをガチャガチャさせたら、突然、けたたましく、リリリリ・・・ と警報が鳴り出した。

 そういえば、この音は、先ほどから、何回か聞こえていた。 どうやら私も同じ間違いをしてしまったようだ。 どうしたものかと思いながら、知らぬ顔をして、そっーと、ひき帰したが、誰も、追ってはこなかった。

 どうも、様子がおかしい、もしやと思って、ガイドブックを見直すと、宮殿は、月曜日が休館日であった。



§§§  プチトラン に乗る
 宮殿は休館でも、庭園は、公式行事がある日以外は、オープンしているようだ。 そのまま、宮殿を抜けると、広大な庭園が広がるが、大きさは見当がつかない。 まず、歩く気がしない。 観光地で良く見かける、トロッコ列車みたいな、良く似た乗り物が、庭園内を巡るというから、乗ることにした。 プチトラン Petit Train という。 小さな電車という意味であろう。

Petit_Train 《プチトラン Petit Train》  Photo by Kohyuh
 2004/04/19


 普段は、あんな子供だましみたいなものに、いい大人がよう乗るわ 格好悪い、と思っていたが、格好は言ってられない。

 乗り降り自由であるから、なるほど、便利がよい。 もちろん、乗り降り自由といっても、何処でもという訳にはにはいかない。

 プラットホームがあるわけではないが、然るべき、場所があるのだろう、最初の停車場で下りた。




§§§ プチ・トリアノン Petit Trianon
 トリアノンは、プチ・トリアノン Petit Trianon と、グラン・トリアノン Grand Trianon と呼ばれる、二つの離宮があるところである。 プチトランが最初に停車したところが、プチ・トリアノンの近くだった。

 ここから見る限り、フランスの王宮庭園という感じではない。 どこかの、というか、お伽噺にでてくる小さな村という感じである。 そこから散策路が続いて、そのお伽噺の村に入っていく。 小さな家畜小屋だとか、池や農家があり、実際に、人の営みも感じられる。


Versailles-Trianon2
プチ・トリアノンの散策路 Photo by Kohyu 2004/04/19


 この プチ・トリアノン の散策路を辿ると、王妃の家 Maison de la Reine が見えてくる。 ここは、マリー・アントワネットのお気に入りであったという。 宮廷生活の疲れを癒すため、直接、馬で乗り入れたというポーチも見える。 小さくはないが、それでも離宮風ではない、田舎屋風の建物で、なるほど、くつろげる雰囲気のものであった。

 私たちも、歩きまわって疲れたし、くつろぎたいし、トイレもしたくなった。 ところがまるで休憩できるようなところが見当たらない。 農家に駆け込みたいが、人の姿が見えなかった。 丁度、観光客らしからぬ、乳母車を押して、散歩している様子のご婦人に出会ったので、トイレを聞くが、知らないという。

 地元の人が知らないようでは、仕方がない。 プチトランの停車場まで戻って、案内所で聞くが、ここにはトイレはないというから驚いた。 次のグラン・トリアノンにあるという。 ここから、歩いていけるものではない。 次のプチトランが来るまで我慢しなければならない。

 昔、ベルサイユ宮殿には、確かにトイレが無かったらしい。 それは、昔の話だろう、と思っていた。 ところが、フランス人のトイレの考え方は、昔と変わっていないのではないか。 こんな広大な庭園に、トイレがないなんて、日本では考えられない。 日本人観光客なら、ここでお漏らしする人が出てきてもおかしくない。


§§§ グラン・トリアノン Grand Trianon
 グラン・トリアノンには、大きな公衆トイレがあった。 いかにもトイレという感じで、周りの景観にマッチしない。 ルーヴル美術館のガラスのピラミッドの例を出すまでも無く、フランスは、デザイン感覚に優れたところがある。 それなのに、シャンゼリゼの犬の糞とか、このトイレは何だ、といいたくなる。 もう少しで漏らすところだったので、お門違いかも知れないが、嫌みの一つもでるというものだ。

 グラン・トリアノン は、いかにも離宮風である。 ピンクの大理石で出来た大きな回廊からは、広大な庭園が見渡せる。 また、沢山の絵画で飾られた大広間もあった。 離宮においても、公式な行事が執り行われるように、作られているのであろうか。

 ここから、プチトラン は、アポロンの泉 Bassin d'Apollon の近くの大運河の端に着き、さらに、もとの出発地点に戻るようになっている。 そして、この大運河の辺りは、一般に開放されているらしく、王宮方面へ向かう途中にゲートがあり、チケットの提示を求められた。 広すぎて訳が分からない。

Versailles-Apollon
アポロンの泉 Photo by Kohyu 2004/04/19


 プチトランを使って、私たちは、このアポロンの泉と大運河に向かって、右側の一部を観たに過ぎない。 それに、左側を観るには、歩きしかない。

 この停車場の近くには、レストランもあったが、私たちは弁当を用意してきたので、外で食べた。  RER のアンヴァリッド駅の構内で買ってきたものである。

 運河沿いの芝生にには、大きなカラスが沢山いた。 ハシブトガラスは、いない筈だからハシボソガラスだろう。 アヌシーにもいたが、こんなに大きかったかな、と思うほどであった。 コクマルガラスも大きな、鈴掛けの木 (プラタナス) にいた。

 私は、プラタナスの街路樹は嫌いであった。 漆の木を想像させる、つるりとした木肌で、不恰好な姿に見えたからである。 だから、昔あった、鈴掛けの道、という歌も、私には違和感があった。 ところが、本当の姿は、こんなに大きくて、堂々としたものであることを知って、見直したものだった。

 盆栽は、ともかく、日本人は、木を虐めている、と言われても仕方がない。 役人が公費を使って、海外視察に良く行くが、何を見てきたのか。 日本が一番元気な頃に、景観のことに投資をしておかないと、これからは、益々、投資できなくなることは、目に見えている。 くもの巣状の電線と電信柱の林が、子孫に残してよい遺産である筈がない。

 昼食後、喫茶店で一息入れ、未だ見ぬ、左側の迷路に突入した。 まさに迷路である。 鳥を観、草花を観、勘を頼りに歩き回ったが、庭園のほんの一部に過ぎなかったであろう。 それでも、パリに帰り着いたときには、日が暮れていた。

 cf. 夕暮れのRER の二階建て列車

 ヴェルサイユ (スライドショウ)



〔アンバサード Ambassade 泊 2004/04/19〕

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【06】 2004/04/20 パリ 5日目 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照

§ 2004/04/20 (火) パリ 5日目
 いよいよ明日から、ノルマンディー方面へドライブ旅行に出掛けるが、その前準備として、今日は、レンタカー会社の所在確認に行く日である。 余計な時間を費やすが、これは、私の流儀である。 当日に、バタバタしたくないし、道路状況も確認しておきたい。 何しろ、レンタカーの 《in/out》 のときが最も緊張するものである。 それが、下調べしておくことによって、自信がつくと言うものだ。 個人旅行となると、やむを得ない時間的ロスかもしれない。

§ サン・ジェルマン・アン・レー St Germain en Laye
 レンタカーの 《out》 は、わざわざ、パリ郊外の西北の地にある サン・ジェルマン・アン・レー という街にした。 パリから、高速郊外鉄道 RERで20分ほどで行ける。 この地を選んだのには訳がある。

 理由の一つは、パリの 凱旋門のロータリー だけは避けたかった。 気の弱い人がこのロータリーに入ると、ニ三時間は脱出できず、ぐるぐる回りを余儀なくされると、何処かに書いてあった。 私は気が弱いし、それに、フランスのロータリーの入り方には、他の国と違って、2種類あり、この凱旋門ロータリーは、私の経験していない方のものであったからである。 このことは、海外ドライブ旅行のすすめ(4) で紹介したとおりだ。

 もう一つの理由として、この街は、パリ市民が最も住みたい街の一つであるらしく、小奇麗な繁華街と、お城や広大な庭園と森があるところである。 それこそ、バードウォッチングには都合が良い。


§§ レンタカー営業所が見つからない
 高速郊外鉄道 RERの改札を出ると、そこは地下街になっていた。 そして、駅に近いところにハーツ Hertz のレンタカー営業所がある筈である。 それを確認して予約してきたからだ。

 とにかく地上に出なければ方角も、街の様子も掴めないということで、地上に出て見たが、バスターミナルがあり、大きな道の交叉点があり、その向こうにお城が見える。 そして、近くのビルの辺りから、繁華街に続いている様子である。 とりあえず、そちらの方向に歩き出した。 手がかりは住所と駅に近いということだけである。 今、その駅の近くに居るわけだから、営業所があるとすれば、一番近くのビルであろう。

 ところが、このビルを一周したが、それらしき店は無かった。 細い路地にも入ってみたがなかった。 普通、レンタカー営業所は、外周道路に面しているものであろう。 それが見つからない。 このビルの中はショッピング街のようになっていたから、一応、ぐるぐると探し回った見たが、この中にもない。

 こうなれば、人に聞くしかない。 眼鏡屋さんだったか、忘れたが、制服姿のお店のおばさんが居たから、ハーツ・レンタカー営業所を知らないか、と聞いた。 そのおばさんは、私の問いかけには応えず、向かいのお店の方へ声をかけ、誰かを手招きした。

 すると黒いスーツ姿の青年が現れて、話を聞いてくれた。 おばさんは、英語が話せる人を呼んでくれたのだ。 中々の好青年で、親切にもゼスチャーも交えて、話してくれるものだから、良く分かった。 これなら、フランス語でも分かるだろう。 表に出て、右に曲がって、直ぐ左に曲がったころにエスカレータがあるだろう。 それを、下ったところにハーツがある、ということだった。

 フランス人は気位の高さから、英語がしゃべれても、フランス語しか話さないとか、色々と良からぬ噂を耳にしていた。 また、実際にパリでは、みんなお高くとまっている、と娘の評判も良くなかった。 ところが、私たちの印象は、全く別で、この青年も親切だったし、その後、多くの 《親切》 に出会うことになる。

 言われたとおりの道を辿れば、何のことはない、私たちが高速郊外鉄道 RERの改札を出て、直ぐに地下街を上がって外に出たが、それを上がらずに、周りを見渡せば、直ぐ気付いたであろう場所にあった。 まさか地下街にあるとは、考えてもいなかったから、目に入らなかったのであろう。 それにしても、小さな営業所であった。


§§§ 車庫の出口の確認
 営業所が確認できたら、次は、車庫の場所と車の出口の確認が必要である。 レンタカーは、車庫が遠くにあれば、営業所まで車を運んで来てくれるが、近くにある場合、鍵を貰って、自分で取りに行くのが普通である。 ここは営業所が地下街にあるので、ここに車を乗りつける訳には行かないだろう。 ということは、車庫もこの近くにある筈である。

 注意して辺りを見回すと、直ぐ見つかった。 大体、地下街の構造は良く似たものである。 フランス語が読めなくても、駐車場の入り口と直ぐ分かる。 この中のどこかに、ハーツの車庫があるが、今日はそこまで調べる必要はない。 明日、借り出す時に聞けばよい。 それなら、駐車場の確認も、明日で良いではないかと思われるかも知れないが、そうではない。 駐車場の出口を確認して、その出口から、最初の訪問地へ向かう道筋の状況を把握しておく為である。

 今回、最初に訪問するのは、オーヴェル・シュル・オワーズ Auvers Sur Oise である。 その方面へ向かうには、この駐車場の出口から、どこを曲がって、どの道を通って行くのか、この目で確認しておけば、当日、うろたえることがない。 もちろん、当日も、係員に聞くが、その時も、事前調査の情報が役に立つからである。 目からうろこの、想定外の新ルートの場合が多いが、外れもある。 教えられたとおりに進むが、一方通行に出くわし、思うところに進めなくて道に迷ったこともあった。

 この道路の状況を把握するには、その前に、地図を購入しておかなければならない。 もちろん、私が何ヶ月もかかかって作成した、ドライブ地図は持って来てはいるが、ナビゲータの家内は信用していないから、止むを得ない出費である。 それに鳥類図鑑や野草図鑑なども手に入れておく必要がある。


  §§§ インフォメーションセンターが見つからない
 訪れた町のインフォメーションセンターを訪問するのはお約束である。 市街図やその他の情報が手に入る。 今回は、本屋さんも探さなければならない。 こういう場合、インフォメーションセンターが最適であるが、それが、中々見つからないものである。

 ガイドブックの地図どおりに道を行くが、途中で分からなくなることが多い。 最近、大分良くなったが、それでも、地球の迷い方、などと言われたりしているのを見ると、なるほど上手いことを言うものだと、納得したものだった。

 何度も、元の場所に戻って、試すが、見つからなかったから、道行く人を捉まえては聞いたりする。 ところが、インフォメーションセンターなどは、観光地でない場合、地元の人は、知らないのが普通であろう。 五六人当たって、やっと知っている人にであった。 色々と、説明してくれるが、分からない顔をしていたのであろう、後を着いてきなさいといってくれた。

 結構、立派なインフォメーションセンターだったと思うが、詳しくは、もう忘れた。 それでも、市街図に印を付けてくれた本屋さんは、直ぐに見つけることが出来た。 やはり、インフォメーションセンターだけのことはある。

 それにしても、この町は魅力的である。 観光客の多いパリとは違い、若者が多く、地元の賑わいがあった。


    §§§ グランド・テラス Grande Terrasse
 地下街を上がると広い通りの向こうに お城 が見える。 そのお城の前は庭園になっていて、カササギ が一羽でいた。 不思議なことに、いつも、どこでも、単独でいることが多い。

 さらに進むと良く手入れされた森のような公園があり、何本もの小道がその森に通じているようである。 開けた方へ進むと、やがて崖っぷちというほどのものではないが、眼下には川が流れていて、おそらく セーヌ川 であろう、その両側に拡がる街並みが、一望のもとに見下ろせるテラスになっている。

 cf. グランド・テラスからの眺め (1) 
 cf. グランド・テラスからの眺め (2) 


 このテラスに立てば、この辺りいったいが丘陵地帯になっているのが良く分かる。 遠くにも丘が見えるから、これも渓谷の景観の一つかも知れない。 英国のヨークシャー・デイル Yorkshire dale の風景に似ている。 それに、このテラスは、全長2.4キロにも及ぶというから尋常ではない。 なるほど、グランド・テラスと呼ばれているわけだ。

 このテラスの下の芝生や畑や果樹園には、ホシムクドリ、クロジョウビタキ、クロウタドリカササギ、それに モリバト もいた。

サン・ジェルマン・アン・レー
サン・ジェルマン・アン・レーの森 Photo by Kohyuh 2004/04/20



§ ヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes
 サン・ジェルマン・アン・レーの森のあまりの広さに、散策はあきらめた。 それより、未だ時間があるから、ヴァンセンヌの森にあるという動物園に行くことにした。

 サン・ジェルマン・アン・レーとヴァンセンヌの森は、ほぼ円形に広がるパリ郊外の、丁度、東西に、お互いが対極をなすように位置するから、近くはない。 それでも高速郊外鉄道 RERで、一時間はかからない距離だ。

 娘たちが、未だ小さい頃、よく動物園へ連れていった。 これが中々面白かった。 ところが、子供が大きくなるとともに、自然に足が遠のくことになったが、それは、子供の興味の対象が変わっただけで、私には、未だ、動物園に未練が残っていた。

 良い大人が独りで動物園へは、行けないであろう。 それでも、外国の動物園の視察と思えば、行くことができるから、何でも気の持ちようである。 特に珍しい動物がいる訳ではないが、それなりに面白かった。

 予想通り、子供連ればかりであるが、京都動物園より、賑わっていた。 また、フラミンゴや各種のカモ類が、同じ池に放たれているが、不思議に金網が無い。 飛べないように羽でも切っているのかも知れないが、自然な感じが良い。 また、フランスで最大級の動物園という、うたい文句であったが、思ったより小さくて、ゴリラやキリンやら値の張りそうな動物はいなかったように思う。

 また、動物園の入り口付近にいた ホシムクドリ は、近くで観ると濃緑色に、星を散りばめたような白い斑点があり、なるほど、星の名を冠するに値する鳥であった。

 ヴァンセンヌの森は、大きな池もあり、その全貌が掴めないほど大きそうだ。 ここでも、散策する気も失せて、ただ、眺めるのみ。


§§ ホシムクドリ

Hosimukudori
ホシムクドリ

ヴァンセンヌの森
フランス
Photo by Kohyuh
2004/04/20

【ホシムクドリ】
分類      スズメ目ムクドリ科
全長       L21 cm
学名      Sturnus vulgaris poltaratskyi
英語名     Common Starling

 良く見かけたが、これほど、色鮮やかだとは思っていなかった。 クロウタドリ を薄汚くしたものという程度の鑑識眼でしか、区別していなかったことを恥じる。 名前の由来どおり、星を散りばめたような鮮やかな斑点がよく似合い、美しい。

 ロンドンでは、雨宿りならぬ糞宿りしなければならない程の、大群になる、ということを聞いたことがある。 日本の ムクドリ のことを考えると、あながち、嘘ではないだろう。 どこの国でも、あまり歓迎されてはいないようである。

 タイにも、仲間の >インドハッカ がいる。 見るからに熱帯の鳥だが、見ればムクドリの仲間と分かるだろう。

 ホシムクドリに成り代わって、一言弁護したい。 人間もあまり偉そうなことを言えない筈だ。 確かに群れはするし、糞もする。 しかし、少なくとも人間のように、集団対集団での、殺し合いなどはしない。 これほど、異常で悲惨なこと、他にあるかと。

 動物園の入り口に一羽だけでいた。 写真を撮ろうとしてカメラを向けると、気付いてか、何食わぬ顔で遠ざかる。 最後まで目を合わせてはくれなかった。 色眼鏡で見ていたことは、悪かった、と言っているのに。



bois_de_vincennes
ヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes
Photo by Kohyuh 2004/04/20



§§ モリバト
 モリバトは、サン・ジェルマン・アン・レーにも居たし、ここヴァンセンヌの森にも居た。 この辺りというか、ヨーロッパの森は、日本の森のようではない。 大きな木が多い、よく手入れされた公園と言った方が良いかもしれない。 見た目は美しいが、自然という感じは少ない。 だから、このモリバトも、深山幽谷の森に住むといった感じではなく、どちらかといえば、鳥に興味がない人が見れば、ドバトと区別は出来ないであろう。


Moribato
モリバト

ヴァンセンヌの森
フランス
Photo by Kohyuh
2004/04/20

【モリバト】
分類       ハト目ハト科
全長        L40-42 cm
学名       Columba Palumbus
英語名      Wood Pigeon



 日本の キジバト (ヤマバト) に感じが似ている。 それに、首の斑紋が特徴的なところも似ている。 これがなければ、ドバトと見間違っただろう。 ただ、警戒心が強いためか、カメラを向けると、直ぐに逃げだしててしまう。 証拠写真が撮れたのは、これだけだった。 公園などで普通に見られるが、群れでいることはないようだ。
 cf. ヨーロッパのモリバト





ドバトの名前の由来
 ところで、そのドバトのことだが、希少価値が少ないからか、世の バーダー 達からは相手にされないでいる。 野鳥として、観察記録にカウントすべきだ、という人は少数派だろう。 野鳥でなかったら、どのように扱うのか教えて欲しいものである。 私は、ドバト の  「ド」  は、土人とか、土着民とか、果ては、ど阿保の  「ど」  を連想させる、馬鹿にした呼称と思っていた。

 ところが、五木寛之の 「ミミズクの夜メール」 という朝日新聞連載のコラムのなかで、室町時代の文献か何か忘れたが、「堂下鳩」 から変化したものだ、と弁護されていた。 お寺のお堂をねぐらにしていたからである。 堂下バト → 堂バト → ドバト になったという。 なるほどね、と思ったものだ。

 ところが、ところが、私が勝手に師と仰ぐ、金田敦男氏(日本鳥類保護連盟)から、あれは間違いだろう、と言う話を聞いた。 現在、ドバト と言われている ハトは、伝書鳩として利用するために、明治以降に大量に輸入され、飼育されてきたものが、野生化したものらしい。

 そういえば、これぐらい身近な鳥であれば、昔の人も、都鳥のように、歌の一つや二つに詠まれていて当然であろう。 ところが、私は、それを未だに、聞いたことがない。 やはり、ドバト には悪いが、日本人の悪い癖で、よそ者を馬鹿にした言葉というところだろうか。



【補追】 2007/03/03
 ドバトの名前の由来話を諸説、聞きかじりで紹介したが、気になっていた。 まとめとして、「鳥名の由来辞典」 *31 から引用して紹介する。

 『ドバトは平安時代から "いへばと" の名で知られ、室町時代から "たうのはと" (塔の鳩)、"たうばと" (塔鳩)、安土桃山時代から "だうばと" (堂鳩)、江戸時代になって、"どばと" (土鳩) と呼ばれるようになった』



 五木寛之の説は、無理があるだろうが、嬉しいのは、ドバト という、蔑称を弁護されていることだ。 使えるだけ使っておいて、もう、いらなくなったから、馬鹿呼ばわりする馬鹿がいる。 そういう人間が多い世の中、救われる思いがする。




§ 明日からドライブ旅行
 明日からドライブ旅行が始まるが、未だ、しなければならないことがある。 最終的に、また、パリに戻ってくるが、そのホテルの予約である。 今のホテルに、急遽、5連泊することになったのは、大きな荷物を抱えての移動が大変だったからである。 前述のとおり、メトロ (地下鉄) にエスカレータやエレベータがなかったからだ。 改札からホームへは、必ずあるが、改札から地上にでるものが無い。 ある方が少ないような気がする。

 歩いて、5分や10分のところへの移動には、タクシーは使いたくない。 わざわざ日本から予約してきたのは、メトロから近いという点であった。 ところが当てが外れたという訳だ。 だから、帰りは、空港行きのバス停まで歩いていけるホテルを、この目で確かめなければ気が済まない。 日本で調べていた、二番手のホテルへ行ってみることにした。

 ホテルは直ぐ見つかったが、今度は、エレベータがないという。 二階や三階の部屋であれば、メトロの階段の方がましである。 困った顔をしていたら、事情を察したのか、私たちの希望の日は、一階の部屋を確保しておくと言ってくれた。 ホテルの中は、パティオになっていて、玄関ホールからそのまま荷物を引いて部屋まで行けるようだ。 早速、予約した。

 エスカレータやエレベータに、これほどこだわるのは、余程、大きな荷物だろうと思うかも知れないが、そうではない。 力がないだけである。 中くらいのハードケースと、機内持込ができるほどのキャリーバックにボストンバックを乗せたものだけである。 これ以上の荷物になると、最低クラスのレンタカーのトランクに収まらないからだ。

 このハードケースも、家内の頭の中では大きすぎるらしく、スチュワーデスが引いているような大きさのものを二つにしたいと言っていた。 私が力持ちではないことを知っていて、少しでも負担を少なくしてあげたいからという。 それなら、中身を、それに見合ったように、詰めてくれればよいだけである。 ところが、いざ出発となった時には、すでにパンパンで、体重をかけないでは、蓋も閉められない状態になっている。 重いわけだ。

 帰りはどうするのかと聞くと、布製のバックを何個か用意しているから大丈夫という。 私が、リュックを背負って、しかも、両肩にバックを襷がけにして、ハードケースを引くスタイルを想像すると、まるで難民ではないか。 重いのは何とか頑張るとしても、格好悪いではないか。

サン・ジェルマン・アン・レー (スライドショウ)



〔アンバサード Ambassade 泊 2004/04/20〕

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